2014年4月

みんなの英語・英会話革命70.「英会話は楽しいか?」愚問?賢問?I *

(再掲載)

70.「英会話は楽しいか?」愚問?賢問?I

ここに一冊の古い本があります。
「国際英語のすすめ」と題され、昭和47年5月15日(197
2年)に実業之日本社から出版された新書です。

著者は、今ではご存じない方も多いようですが、当時は日本国中
で英語の神様のように思われていた同時通訳者の国弘正雄氏です。
同氏は、当時、国際商科大学の教授であられ、また、NHKテレビ
中級英語会話講師として、世界の著名人相手のインタビュー番組
を担当なさっていました。
ちなみに、現在、NHKテレビ「ニュースで英会話」の講師をなさ
っている鳥飼久美子さんは当時、同氏のお弟子さんでした。

この「国際英語のすすめ」を、私はミシガン州立大学の大学院で
「異文化コミュニケーション」を学ぶために渡米する前年に読ま
せて頂いて、大変参考になり、本当にありがたく思いました。
がしかし、そのご意見ににいくつか根本的な、それゆえ重大な問
題があるとも思いました。

紙面の都合上、ここでは最も根本的で重大だと思われる1点を同
書から、そして、次に根本的で重大だと思われるもう1点を同氏
の「落ちこぼれの英語修行:異文化のかけ橋をめざして」(19
81年、日本英語教育協会)から問題にしたいと思います。

最初の1点は、前書の、第5章「英語をどうやって学ぶか」の
「英会話は楽しいか」という項で、
同氏がこの「英会話は楽しいか」という質問は愚問だと言い切っ
ておられることです。(96頁)

「しょせんは外国語でしかない英語を操ることは、綱渡りをなり
わいとするアクロバットのようなもので、ちょっと油断をしたり、
バランスを欠いたりしたら最後、何十メートルも下に落ちて、墜
死は免れない。アクロバットの専門家にあなたは楽しんで綱渡り
をしていますかと尋ねるようなもの」
とも、

「命がけでやっているんで、楽しむ余裕なぞありません、という
答えが返ってくるにきまっているから」(以上共に96頁)

とも言っておられる。

同氏はこのことに関し、
「なぜ(本番の)英(語)会話が苦しいに決まっているか」
その3つの理由を含め、10頁強も割いておられます。(96~
106頁)

これは多分、本番の英会話に苦しんでいる、同氏のテレビ番組の
聴者やご著書の読者に、1度ならず、
「先生は英語で会話中、(それを)楽しくしていらっしゃいます
か?」

などと尋ねられなさったのだと思います。

そして、同氏にすれば、
『苦しいに決まっている英会話が楽しいか、とは何ごとだ!

などというお気持ちで、同氏にとってのこの『愚問』に一々お答
えにな
れず、同書でそれに対する意見をまとめて述べられたので
はないで
しょうか。

私にとっては、それは英語・英会話関係で、この上ない『賢問
なのですがね。

(次回に続く)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

みんなの英語・英会話革命71.「英会話は楽しいか?」愚問?賢問?II*

(再掲載)

71.「英会話は楽しいか?」愚問?賢問?II

'Englishi conversation' (=英(語)会話)の実態は 'conver-
sation' (
会話)でしたね。

そうではなくて英語(English)だと思われる方はぜひネイティ
ブスピーカーに、

Is 'English conversation' English or conversation?
(=「英(語)会話」とは英語ですか、それとも会話ですか?)
と聞いてみて下さい。
この答えは明白で尋ねるまでもないので、馬鹿にされるかも
知れませんが。

さて、前回、同様なことを問題にした時は英英辞典を引きました
が、今度は英和辞典で conversation を引いてみましょう。

大修館のジーニアス英和辞典には、
1.(うちとけた)会話、対談、座談、2.交際、親交
とあります。

また、小学館ランダムハウス英和大辞典には、
1.(打ち解けた)会話、対談、座談;(事務的な)会談、話し
合い
2.交際、付き合い、社交、親しい交わり、親交
とあります。
(ちなみに、角川新国語辞典によると、「打ち解ける」=隔てな
く親しむ、気をゆるす、くつろぐ)

これらを見ても、conversation (会話)というのは
「親しく交わり打ち解けた話し合い」で、これを日本語でしてい
る時は実に気楽で、楽しいはずです。

もちろん、私は quarrel (口げんか)の話をしているのではあり
ません。
conversation (会話)の話をしているのです。

そこで、英会話を懸命に習い、英会話力が身に付いてきたら、英
語でこれをしている時も同様に気楽で楽しいのが本当ではないか。
しかし、自分はちっとも楽にも楽しくもならない。
自分のしていることがどこか間違っているのではないか。

このような心理状態にある人が、
中学生になって初めて英語に接した
先輩やプロで、上手に英会話
をしている人がいたら、その人に、

「英会話は楽しいですか?」

と先ず尋ね、楽しいのならどうしたらそうなれるのか聞きたいと
思ったとしても、ごく自然ではないでしょうか。

自分のかかわるあることに関して、何度も変だと思い、自分で考
えても納得がいかない。
そこで、素直にその方面の先輩やプロに尋ねてみる。
そのような疑問はものごとの本質に触れていることが多いのです。

そして、ものごとの本質に触れている疑問には『愚問』どころか、
賢問』が多いのです。

なぜなら、そのような疑問を晴らそうとすることは、そのものご
との根本的本質的改善に向かって歩みだすことですから。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

みんなの英語・英会話革命72.改悪されている英語英会話教育*

(再掲載)

72.改悪されている英語英会話教育

私にとっては(本番の)英会話はとても楽しいものです。

また、私達の学校や教室に体験授業に来られた方々で、本番の英
会話を経験した事のある方達にはたいがい、
「(その時、)楽しいでしたか?」とか、
「(本番の)英会話は楽しいですか?」
などと尋ねるようにしています。

ということは、このような「愚問」をしばしば発し、苦しいはず
の英会話をとても楽しく思っている
私は愚人の極みということに
なりますよね。

私は良いですよ。 誰にどう思われようと。

しかし、英語や英会話の教育や学習の神様のように思われておら
れる国弘正雄氏ともあろうお方が、上のようなことを公に断言さ
れた時の、私たち日本の英語や英会話の教育者や
学習者に与える
悪影響
の大きさはどれほどのものでしょう。

計り知れません。

(本番の)英会話とは本当はごく気楽で楽しいものであるのに、
その真反対の、この上なく辛く苦しいものであるという先入観を、
ほとんど全ての日本の英語や英会話の教育者や学習者に与えてし
まうのではないでしょうか。
そして、正しい英会話法への道を断ち切ってしまうのではないで
しょうか。

同氏が、本番の英会話とは辛く苦しいものだと決め付けておられ
のは
「英(語)会話」というものを完全に誤解なさっている
らでしょう。

つまり、本書ですでに触れたように、いわば芝居の立ち回りのよ
うな練習ばかりを積み上げて
剣術の立会いや真剣勝負をなさるか
、あるいは英語の受験やプレゼンテーシのつもりで本番の英会
話に臨まれるから
、不必要に苦しい思いをなさるのだと思います。

「英会話」とは主として英語でする「心理社交術」です。
「英語プレゼン(=発表)術」では断じてありません。
この根本を完全に誤解なさっています。
他のほとんどの日本人英語・英会話のプロと同様に。

かえって、同アマ(チュア)のほうが、この本当のところを感じ
ていたり、分かっていたりする方が多いようです。

ところで、太平洋戦争が終わってから70年近くになりますが、
その
終戦後しばらくしてから現在まで、ずーと日本では英会話熱
が続い
てきたと私は思っています。

大きな、また小さな浮き沈みはあったけれども。

この英会話熱を生み出したのは進駐軍でしょう。
そして、これを加熱させ英会話の大ブームを起こしてきたのは、
まずは東京オリンピック、次に大阪万博、さらには英語教育大論
争、円高による海外旅行ブームや企業の海外進出、政府の海外視
察などの出来事で、今回の2020年東京オリンピック開催の決
定は再びこのブームを加熱させようとしています。

がしかし、私の考えでは、
日本の英会話教育は明治以来、全く改善されていません。
いや、むしろ、意訳中心の暗記暗唱主義により改悪されていると

思います。

英語教育も同様です。

今やこの問題を根本的に考え直し、橋下前大阪府知事のおっしゃ
ったように、英語英会話教育学習に革命を起こさねばならないと
思うのですが、いかがでしょう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

みんなの英語・英会話革命73.「英借文的読み方」*

(再掲載)

73.「英借文的読み方」

前回紹介しました国弘正雄氏はまた、
英語のライティング(=書き方)力習得法として、同氏が

「英借文的読み方」

と称されているものを、「落ちこぼれの英語修行」(71.で紹
介済み)の96ページで、ご経験をもとに提唱されています。

これをすれば、英文を読む時、その英文を
「自分が書くつもりで英語を読むから、読みが深くなる」
ので、英文を書く時に大いに役立つ旨を述べられています。

この「英借文的読み方」も少し問題がありますが、大問題なのは
同氏のその直後のことばです。

「つくろうなどと偉そうなこと言わないで、もっぱら借りまくれ、
つくれるわけなんかないんだから、というわけです。これはかつ
て宮沢喜一氏(注:第78代内閣総理大臣)
の義父で、早稲田大
学の伊地知純正と
いう英作文の大先生が盛んに力説されておられ
たやり方
です。」(ブロック体と注は筆者)

という。

以上から分かることは、伊地知純正大先生はもちろんのこと、わ
が国で英語の神様のように思われている国弘正雄氏も、

『私達、英語を外国語として学習し始めた日本人が英文を話した
り書いたりする場合、できるのはせいぜい英借文で、英作文など
決してできるものではない』

ということでしょう。

日本のトップクラスとされる英語や英会話のプロや学者や先生方
の上記と同見解を、私は何度も聞いたり読んだりしましたが、私
の不勉強のためか、それに対するきちんとした反論を聞いたこと
も読んだこともありません。

もし、英語や英会話のプロや学者や先生方がほとんど皆そう思い
込んでいらっしゃるとしたら
、これは日本の英語英会話教育学習
における重大な問題です。

このことに関連してですが、私のミシガン州立大学留学当時も、
同大学でMBA(=経営学修士号)を目指す日本人留学生が多数
いま
した。
が、そのお一人が学期の小論文を、引用文以外も英作文しないで
英借文して提出されたら、教授に呼び出され2度とこのようなこ
とをしないように、したら即退学となると忠告され、非常に困っ
ておられたのを思い出します。

英借文と英作文との違いには微妙な点もありますが、国際的に堂
々と学問や仕事をやっていくためには、『
英作文』つまり、「英文
で表現」ができるようにな
らないといけません。

絶対に。

が、恐れる必要はありません。
英作文なんてやり方によっては簡単です。
ただし、
本物の現代英文法』を正しく学べばの話です。
できれば、『本番の英会話法』を通して。

『英文的読み方』ではなくて、本番の英会話法と本物の現代英
文法を正しく身に付けて様々な現代英文の『英文的読み方』
をしてみませんか。

TOEFL-iBT などたいして難しくなくなりますよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

みんなの英語・英会話革命74.ラテン(語)英文法*

(再掲載)

74.ラテン(語)英文法

前回、私は英語や英会話を本当の意味でマスターするには、
英借文』などしていてはいけない、英文を発話したり書いたり
する時は『
英作文』、つまり「英文で表現」ができるようになら
ねばならない旨をお話しました。

そして、英作文ができるようになるためには、
本物の現代英文法
を身に付けねばならないとも言いました

がしかし、日本の、いや世界中の英語や英会話のプロや学者や先
生方は、ネイティブスピーカーも含めほとんど皆、実用的な「英
文法」といえば、私達が『
ラテン(語)英文法』と呼ぶもの、つ
まり、

「(古代)ラテン(語)文法のパラダイム(=枠組み、組織)を
現代英語に無理やりに当てはめた
従来の学習英文法」

を後進の方々に教え込んでおられます

そのため、後進の方々はわけの良く分からない英文法の世界に入
り込んでしまいます。
もっとも、前進の方々もかつて後進だった時に、同「ラテン英文
法」の世界に引きずり込まれなさったのでしょうけれど。

この輪廻は早晩絶たねばなりません。

従来の(ラテン)英文法の枠組みの基礎というか、その土台は英
語の単語を8種類に分類する「8品詞」と呼ばれるものです。

ところで、この「8品詞」を基礎とする「ラテン英文法」の最も
強力な擁護推奨者であられる
渡部昇一博士は、現代日本の英語の
教育や学習にこの上ない悪影響を及ばされていると
私は思ってい
ます。

同博士のその悪影響に関しては、本書の付録をご覧頂ければ幸い
です。

ちなみに「8品詞」とは、ご存知のように、

名詞、代名詞、形容詞、副詞、動詞、前置詞、接続詞、間投詞

のことです。

正式な英文を作る時、最も重要な品詞は「動詞」ですが、これ1
つ取リ上げてみても、この分類では文作成上の働きが全く違う
「助動詞」も「不定詞」も、「動名詞」も「現在分詞」も「過去
分詞」も「動詞」の1種となってしまいます。

また、「接続詞」1つとってみても、その下位区分の「対等接続
詞」と「従属接続詞」の文作成上の働きが全く違うのに同品詞と
されています。

さらにまた、「名詞」と「代名詞」は文作成上の働きがほとんど
同じなのに別品詞とされています。

このように狂った基礎や土台の上になる狂った英文法を用いて
ては、英文で話したり、英文を書いたりする時、(文法的に)正
しい英文が次から次へと作り出せず、広義の「英借文」をするし
かありません。
つまり、正しい英文を「暗記」し、その場に適当と思われる英文
を思い出し、必要と思われる「語句の入れ替え」をし、これをよ
く分からずに唱える「暗唱」
(あるいは筆記する「暗書」)しか
できないのも無理ないのです。

が、そのような暗記暗唱(や暗書)では、責任のある発話をした
り、責任のある筆記をし
たりしなければならない本番のコミュ二
ケーションという真剣
勝負の場では、全く太刀打ちできないのは
明白でしょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(付録1.)今までの学習英文法と本物の学習英文法*

「やり直し英語」初・中級:

今までの学習英文法と本物の学習英文法




今までの実用的な英文法は、「学校文法」 とか 「学習文法」
とか呼ばれている、皆さんが今までに習って来られた英文法です。

ところで、このような英文法をまとめて、学問的な 「研究英文法」 と
は区別して、
「学習英文法」 あるいは 「実用英文法」 と呼ぶことにします。

ちなみに、学問的な英文法は、ノーム・チョムスキーという有名な学者
のものを筆頭に実用的には全く役に立ちません。
つまり、私達一般の外国人がそれを習い、英語力を身に付けるために
はです。すなわち、英語を正しく聞き取り、正しく話し、英語を正しく読み
取り、正しく書けるようになるためには全く役に立ちません。

さて、世界中で教えられたり、独習されたりしている
「学習英文法」 あるいは 「実用英文法」 ですが、
それらは、枝葉は多少異なっても、その根幹 (=根本) は
8品詞 (又は、これに 「冠詞」 を加えて9品詞) を中心とし、


矛盾に満ちた、全く不適切なものばかり

です。


(ちなみに 「8品詞」 とは、
名詞、代名詞、形容詞、動詞、副詞、前置詞、接続詞、間投詞の
8つです。
これらの 「8品詞」 では、どのように不適切で、どのような矛盾を
引き起こしているかはいずれお話します。)

ですから、
それらの学習英文法は真面目に学習すると、
ごく一部の天才的な (感覚の) 人々以外、
学習すればするほど頭が混乱し、
英語や英文法が益々分からなくなるのです。


その結果でしょう、
多くの人達が 「英文法」 と聞くだけで 拒否反応 を起こされる
ですが、
今までの学習英文法では、そう成ってしまうのも無理ありません。


なぜ、「学習英文法」 が、このような酷い状態のままになってい
るのでしょう?


これは、一言でいうと、
今までの 「学習英文法」 は全て、
古代ローマで使われていたラテン語の 「文法の枠組み」 を、
全く合わない現代英語に無理やりに当てはめたもの

だからです。
あるいは、そうした後、その枝葉を変えただけのものだからです。


オランダ語を弟としドイツ語を従兄とする 「英語」 の祖先は、ラテン
語ではありません。 ゲルマン語です。

フランス語やイタリア語、それにスペイン語やポルトガル語の祖先が
ラテン語です。

ここに2つの重大な疑問が生じるでしょう。

1つは、何故、そんな系統の違う文法の枠組みを英語に当てはめ
ているのか?

もう1つは、何故、そんなに古い文法の枠組みを現代英語に当て
はめているのか?

この2つです。

これにはもちろん歴史的な原因というか、理由があるのですが、
この原因や理由に興味のある方々には、英文法あるいは英語学の
歴史に関する書物を読んで頂くとして、

ここで私の言いたいのは、

「ラテン文法の枠組みでは、
現代英語の成り立ちは絶対に正しく捉えられない。

だから、ラテン文法の枠組みを土台にしている
今までの学習英文法は、
英文を正しく聞いたり、話したり、読んだり、書いたりするのに、
言い換えると、正しく英文を理解 (=解釈) したり、英作文したり
するのに、
役に立つどころか、返って大きな障害となる。」

ということです。


英語の祖先は西ゲルマン語で、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン(語)系です。
ラテン語は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック(語)系です。

そこで、ラテン(語)文法の枠組みを、
同じインド・ヨーロッパ語族に属する同時代 (=古代) のゲルマン語に、
いや、さらに1歩譲って、
それより遥かに後の (世界史の時代区分では中世初期の) 「古 (期) 英語」 に
当てはめるのなら、未だかなり意義があるでしょう。

しかしながら、

「古英語」 は
「中英語」 期 と 「近代英語」 の初期にかけて
大変身をしたのです。
そして 「現代英語」 に成ったのです。

それはまるで、
毛虫がさなぎの時期を経て蝶に成ったかのような大変身でした。


つまり、(語と語の) 文法関係を表すのに、
ラテン語やギリシャ語のような語形変化中心の 「古英語」 から、
まるで中国語の文法を主とし、日本語の文法を従としたような、
語順と仲介語中心の 「現代英語」 に大変身をしたのです。

毛虫の行動を理解し予測する規則群で、
蝶の行動を正しく理解し予測することは決してできないでしょう。

同様に、
『語形変化』 中心の 「ラテン語」や 「古英語」
の文法規則群で、

『語順』 と 『仲介語』 中心の 「現代英語」
の成り立ちを正しく理解し、正しく作文する
ことなど決してできません。


以上のようなことは、英語と英文法の歴史をザーッと観るだけで、
素直な英語の研究者や先生方なら、誰にでも分かることではない
でしょうか?

なのになぜ、「学習英文法」 が未だに 「ラテン文法」 の枠組みを
当てはめたままになっているのでしょう?

それは、世界中の英語の研究者や先生方が
未だにラテン文法の亡霊に取り付かれていらっしゃるからでしょう
と、ここでは言っておくことにします。

(それは実は、この科学的な学問の近・現代においてなお、研究
者や先生方が事、学習英文法に関しては、ラテン文法を文法の
神様だと信じ、崇拝なさってやまないからでしょう。
2014年4月14日)。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(付録2.) 今までの英文法としかるべき英文法1*

今までの英文法としかるべき英文法1


前回の話に関連したことですが、

上智大学文学部教授の渡部昇一博士は、
大学院生の時に学習英文法の8品詞の起源に強い興味を抱かれ、
ドイツに留学し 「英文法の歴史」 を研究されました。

その結果、大きな成果を収め、博士号を取得され、ついには
「(8)品詞というものは、古代ギリシャ以来、
読めない文献を読むための言語分析の方法として発達したのだ」
という悟りに至られたそうです。
(渡部昇一 『英文法を撫でる』 PHP新書, 1996
の、第3章 「英語の基本ー 『読み書き』 能力」 より。)

ならば、

私達一般の英語学習者は、何も、
古代ギリシャ以来の読めない文献を読むために英語を学習しているのではないから・・・
そして、私達は、現代英語の文を正しく聞き、話し、読み、書くための、
まともな能力を身に付けたいのだから・・・

博士は、私達一般の英語学習者のために、
8品詞を中心とするラテン文法の枠組みを持つ、今までの学習英文法を捨て、
現代英語により適切な枠組みの学習英文法を発見して推薦したり、
あるいは自ら開発しようとなさるだろうと思っていたのですが。

なんと、なんと、30年以上も、
今までの8品詞中心の学習英文法を徹底して擁護し、
推奨して止まれないようです。

全く訳が分かりません。

古くは、1975年に、
当時自民党の政調審議委員だった平泉渉氏との 『英語教育大論争』 において、
博士は 「私の英語上達法」 の2で、

「英語教育の改善のためには今の制度をそのまま活用するのが最も効果的である。
ー中略ー 教室で立派に出来ることの第一は基本的な文法を叩きこむことである。
そのうち特に重要なのは8品詞と基本文型である。8品詞というのは学校文典 (=文法) の
悪しき標本みたいなものに仕立てられている傾向があるがそんなことは絶対にない。
ー中略ー いわゆる学校文典は、ありとあらゆる試みの結果そこに落ち着いたので、
これを変えたらもっと別のより大きいマイナスが出てくるようなものであることを
私はこの本の中で十分に証明したと信じている。ー後略ー」
(平泉渉・渡部昇一 『英語教育大論争』 文藝春秋, 1975)

と言っておられます。

それから、博士の先ほどの 『英文法を撫でる』 (PHP新書, 1996) は、
英語・英文法の歴史と日本の伝統的な漢文学習をこよなく愛し、
今までの8品詞中心の学習英文法を徹底して弁護し推薦する内容の本です。

これらは、
博士の(英文法は中世に大変身をしたという)研究結果や(古代ギリシャ以来の
読めない文献を読むための言語分析の方法として(のみ)発達したという)悟り
から、良識によって導き出せるものとは完全に矛盾する発言や内容と言うか、
正反対の結論の主張でしょう。
全く訳が分かりません。
前回にも言ったように、古(期)英語は文法的に根本的な
それゆえほとんど全面的な変化を経て現代英語に成ったのです。

ですから、
8品詞中心のラテン文法の枠組みを持つ学習英文法は、
古英語の学習や、ラテン語やギリシャ語の学習への橋渡しとしては
適しているかもしれないが、現代英語の学習、それも
「聴解」 (⇒聞き取って (即、) 理解すること) や 「読解」には極めて不適切で、
話す場合も、書く場合も (即、) 「英作文」 するには全く不適切なものです。
そして、
このことを1番よく分かっていらっしゃるのは博士のはずです。

なのに、その博士をして、
私達一般の英語学習者が現代英語を学習する場合の
より適切な英文法の可能性をすべて排し、
8品詞中心のラテン語の枠組みを持つ学習英文法を
徹底して擁護し推奨させているものは、
一体全体何なのでしょう?

先入観? 独断? 偏見? 迎合??


いずれにせよ、博士は、日本国内だけでなく海外でも多大な影響力を持って、
今までの8品詞中心の学習英文法を徹底して擁護し推奨なさって止まれないのです。

これは本当に困ったことです。

なぜなら、前回にも言ったように、「今までの8品詞中心の学習英文法」 は、
現代英語の文法としては、全く不適切で矛盾に満ちているからです。
そのため、この英文法自体を学習する場合も、
この英文法を使って英語の現代文を聞いたり、読んだりする場合も、
現代英語で話したり、書いたりする場合も、
ごく一部の天才的な感覚の人々以外、私達一般の英語学習者は、
まじめにこれらをすればするほどよけい頭が混乱し、
英語や英文法が益々分からなくなるだけだからです。

そして、私達一般の英語学習者は、
多大なお金と労力と時間を浪費する結果となっているからです。

それだけではありません。
その不適切な知識が、
より適切な英文法を学習する場合だけでなく、
現代英語の4技能自体を正しく学習する場合も
大きな障害と成って止まないからです。

ですから、
同博士が、日本国内だけでなく世界中の一般英語学習者達に
直接あるいは間接及ぼしてこられた悪影響には
計り知れないところがあるのです。

以上のようなわけで、
博士が早急に、先ず、一般の人々の英語教育に対する考えをお改めになり、
次に、世界中の一般の英語学習者に、いままでお与えに成って来た不都合に対し、
心から謝罪されんことを、私は期待します。

そうでない場合は、次回にお話する私の要求にお応え頂かねばなりません。


今までのラテン文法の枠組みの8品詞英文法で
英語も、ドイツ語もマスターされた
博士のような方は、特殊であられるのです。
天才であると同時に、非常な努力家でもあられるようです。
そのような方々のみが、
今までの8品詞英文法によってでも、その言語の本質を感知し、
優れた語学力を身に付けられるのだと思います。

問題は私達一般の英語学習者です。

英語に苦労している一般の学習者の身に成って、
今までの学習英文法に疑問を抱き、
どうしたらよく訳が分かった上で、
本物の英語力を身に付けることができるのかを真剣に考え、
先入観や独断や偏見無しに現代英語のあるがままの姿を観察し、
これに適切な枠組みの英文法を構築しようとし、
成功なさった英語の先生方や研究者が、
今までおられなかったようであるのは残念なことです。

(2008年8月16日)

(付録3.)今までの英文法としかるべき英文法2.*

今までの英文法としかるべき英文法 2.


前回私は、
ラテン文法の枠組みを持つ従来の8品詞英文法を中心とする
渡部昇一博士の英語教育論を厳しく批評させて頂きました。
なぜそうさせて頂いたのかと言うと、
現代英語の一般的教育に対する博士のお考えが極めて不適切なので、
一般の英語学習者が多大な被害を蒙っているからだけではありません。

前回にも引用しましたが、
博士が 『英語教育大論争』 (平泉渉・渡部昇一著 文藝春秋, 1975) の中で
「これ (=従来の8品詞と基本文型を中心とする学校文法) を変えたら
もっと別のより大きいマイナスが出てくるようなものであることを
私はこの本の中で十分に証明したと信じている。」(「私の英語上達法」の2.)
とおっしゃっているからです。

言い換えると、私達一般の現代英語学習者にとって、
基本文型と8品詞を中心とする従来の英文法よりも、
より適切な学習英文法などありえないとおっしゃってるからです。

それもありえないと 「思う」 ではなくて、
ありえないことを 「十分証明したと信じている」
とおっしゃっているからです。

この言葉は、英語や英会話に悩む学習者一般を救おうとして、
より良い学習英文法を研究しておられる、
誠実で思いやりのある人達の意気を消沈させたり、
意欲を抑圧したりするもの以外の何ものでもないからです。

私は、1975年の4月から同10月にかけての 『英語教育大論争』 から
約10年後の1986年の3月に、英文法は従来のままではいけないので、
この 『本物の英文法の概要』 と大体同じ枠組みの13品詞を中心とした
『実用生成英文法』 という専門書を開文社から出版しました。

これは専門家相手の書物なので難解なところが少なくないのですが、
そこで私は、
(文法的に正しい) あらゆる現代英文がどのように成り立っているのかを
完全に解明したつもりです。

つまり、
そこでは、それがどんなに複雑な文であれ、
1つの英文のすべての単語に関して、
どの単語がどの単語に対してどんな働きをし、
互いにどんな関係を持ってその英文を成り立たせているのかを、
1つの単語も漏らさず
正しく解明あるいは規定 (する方法をきちんと示) したつもりです。

この意味は、
その逆をきちんと辿れば、
あらゆる種類と複雑さの文法的な現代英文が
誰でも自力で作り出せるということです。

つまり、『英借文』 や 『盗作文』 ではなくて、
本物の 『英作文』 ができるということです。

その考えをさらに推し進め、一般の英語学習者の方々のために解説したものが
私が 『本物の英文法』 とか 『本物の現代英文法』 とか 『本物の表現英文法』
などと呼んでいる新しい学習英文法です。
そして、その概要がこの13回にわたった 『本物の英文法の概要 』 (I~XIII) です。
(⇒2013年の4月28日~4月16日に再掲載)


ところで、
なぜ、これらにいちいち 「本物の」 という言葉を
頭に付けているのかを次に少し説明したいと思います。

それは、今までに数え切れないほどの数の
『現代英文法』 とか 『表現英文法』 とか 『何々英文法』 という名の
現代英語?の学習文法書が出版されていますが、
それらはほとんど皆、8品詞中心のラテン文法の枠組みを持つ英文法書だからです。

それらでは、今上で言ったような本物の 『英作文』 はできるようになりません。
『英文解釈』 も極めて少数の天才的な人達以外、早く正しくできるようになりません。
これは、それらが本物の現代英語の文法ではないからです。

このことを踏まえて、それらの英文法と本英文法をはっきりと区別する場合、
この 「本物の」 という言葉を頭に付けることが、最も適切だと判断したからです。

話を元に戻しますが、
平泉渉氏と渡部昇一博士が英語教育について大論争なさっていた頃、
私は米国に留学していたので、その論争については全く知りませんでした。

私がこの 『英語教育大論争』 について知ったのは、
今上で触れた 『実用生成英文法』 を出版してからです。
そしてその 『大論争』 を読んだ時、
同博士の上の発言などに少なからぬ憤慨を覚えたのですが、
お二人のあまりにも的外れで、実りのない論争に、
呆れ返ってそのまま捨て置いたのです。
そのうち渡部博士も、
学習英文法についての考えを大きく変えられるだろうと期待して。

しかし、それから更に10年余りの年月が経って、
1996年の12月に出版された博士の 『英文法を撫でる』 を拝読しても、
博士のお考えは変わるどころか、今までの8品詞中心ラテン文法枠の学習英文法
を益々愛し、擁護し、推奨して止まれないようでした。

それでも、お偉い博士の英語教育論を批評するなどということは、
遠慮し、差し控えさせて頂いていたのです。

しかし、ここさらに10年以上、今までの8品詞英文法を習っているはずの
一般の英語学習者の方々が話したり書いたりされる英語や英文を見聞きしてきたところ、
それらはあまりにも酷いままです。

そして、その原因の根本に
不適切な今までの8品詞英文法があると私は確信しています。
それで、この 『本物の英文法の概要』 を終えるに当たって、
博士の8品詞英文法を中心とする英語教育論を批評させて頂くことにしたのです。

さて、英語や英会話に悩む一般の人々のために
私が長年研究を重ね開発した 「本物の現代英文法」 は、
この概要でも述べたように、
現代英語の枠組みの 「12(~13)品詞」 と 「英文語順表」 中心の学習英文法です。

これを、博士の擁護し推奨なさって止まない、今までの
ラテン文法の枠組みの 「8(~9)品詞」 と 「基本文型」 中心の学習英文法と
比べてもらいたいのです。

そして、おっしゃっているように、
これらの違いによって出てきている、あるいは出てくるであろうより大きいマイナスを
是非とも明示あるいは証明してもらいたいものです。
独断的にではなく、客観的にです。

いや、そうしてくださることを私は博士に要求します。

公言なさったことに責任を持って頂くためにも、
英語や英会話に悩む一般の学習者の方々のためにも。
そして更に、
美しい文法体系あるいは素晴らしい文法組織を持つ現代英語自体のためにも。


現代英語が泣いています。 怒りを通り越して。
「私の成り立ちは、もはやラテン語や古英語のそれではない。」 と言って。
私にはその泣き声が聞こえるのです。

まるで蝶が泣いているようです。
「私の姿は、もはや毛虫や蛹のそれではない」 と言って。

誰も気付いていないようですが、
現代英語の文法は素晴らしい容姿をしているのです。
その (現代) 英文法をラテン文法の支配から
独立させてあげようではありませんか!!
いや、是が非でもそうしなければなりません。

(2008年8月22日)

みんなの英語・英会話革命75.言葉の「意味」の学習に関して1.*

75.言葉の「意味」の学習に関して1.

 

ところで、多くの人が

「英語はコミュニケーションの『手段』(の一つ)に過ぎない」

といいます。私も同感です。
が、それではコミュニケーションの『
目的』は、それも『究極
の目的
』は何でしょう?

結論から言いますと、それは

「ある物事に関する正しい(広義の)意味』の伝達」

だと私は思っています。
そしてもしそうなら、人々のコミュニケーション活動における
「意味」とは何か、あるいは「意味」とはどのようなものか、
よく分かっていなければならないでしょう。

そこで私は英会話のレッスンで、時々

What's 'a chair'? (「いす」って何ですか?)

あるいは、
What does 'a chair' mean?
(「いす」とは何を意味しますか?)

などと a chair の意味を尋ねることにしています。

そうすると、大概の日本人英会話学習者は
`Isu'. (「いす」)

とか、
It's (an) 'isu'. (それは「いす」です。)

とか、

It means (an) 'isu'. (それは「いす」を意味します。)

などとその和訳語を答えられます。

この英和の辞書的相当語である 'Isu' (「いす」)も 'a chair'
の意味として認めますと、
これは「
訳語義」とでも言うべき種類の意味でしょう。

中には、英語で
(It's) 'A seat.' (訳語義:座席、座部)

と答える方もいます。
これは「同意語義」とでも言うべき種類の意味です。

また、中には、
(It's) A seat for one person with legs and a back.
(和訳:脚と背もたれを持っている一人用の座席)
あるいは、
(It's) A piece of furniture made up of a seat, legs and a
back (for one person).
(和訳:(一人用の)座部と
脚と背もたれから成る(一点の)家
)。

などと答える方もいるかも知れません。
これらは通常「定義」と呼ばれている意味です。

以上の他に、私は「(現実的・社会的)論義」とでも呼ぶべき
意味も認めています。

これは
「その言葉が表すものごと自体(例:a chair)や、その一部
(例:the back [背もたれ])の有無によって、人々の日常生
活や社会にどんな影響を及ぼすか」
ということから、そのものごとに関する直接体験や意見までを
含む様々なことを人々と話し合って得られる、
その「現実的・社会的意味」のこと
です。

これは
「その言葉が表すものごとの日常生活や社会における働き」
と言い換えても良いでしょう。

ところで私は、この「現実的・社会的意味」が、外国語や特に
外国語会話の学習における究極の、がしかし、最も重要な意味
だと思っています。

そして、これをきちんと扱わない外国語や外国語会話の教育や
学習によって身に付いた能力は、
実生活や実社会での本番の国際あるいは異文化コミュニケーシ
ョンの場では役に立たないか、問題を起こしがちになってしま
うことは火を見るより明らかでしょう。


(続きは次回です)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

みんなの英語・英会話革命76.言葉の「意味」の学習に関して2.*

76.言葉の「意味」の学習に関して2.

 

前回私は、私達日本人が英語を外国語として学ぶ場合の
英単語の意味に、
1) (和)訳語義(that by lexical (Japanese) equivalent)

2) 同意語義(that by synonym)
3) 定義(that by definition)
4) (現実的・社会的)論義(that by discussion)

の4種類のものを認めました。

が、英語の句や(節や)文に関しては、

5) (和)直訳義(that by literal (Japanese) translation)
6) (和)意訳義(that by contextual (Japanese) translation)
4) 
現実的・社会的)論義(that by discussion)

の3種類を認めています。

そして、私達が英語を外国語として学習する場合、
このどの意味も必要で重要でしょう。

しかしながら、私達が「英語での即座のコミュニケーション法」
を身に付ける場合、すなわち、
「本物の英会話」つまり「
英語での本番の会話(法)(術)」や
「英語での本番のディスカッション法」や
「英語での本番の質疑応答法」を学習する場合、
上の1)や5)や6)の和訳義に頼ってはいては絶対にいけません。

困ったときには、その相手や参加者(ただし、ネイティブスピーカ
や、同相当者)を頼りにしなければなりません。

つまり、その相手や参加者に頼んで、問題の言葉の同意語
(synonym)や
定義(definition)を言ってもらったり、さらには、
実物を指し示したり、写真や絵を見せたりしながら問題の言葉や発
言の日常生活における実際的(現実的)意味を解説してもらったり、
できれば(社会的)論義(discussion)をしてもらったりして、正
しい理解と表現に努めねばなりません。

そうしないと、「英会話」や「英語でのディスカッション」や「英
語での質疑応答法」をどれほど学習しても、これらを正しく自信や
確信を持ってできるようには決してならないでしょう。

いや、これらの英語での即座のコミュニケーションだけでなく、準
備して、あるいは時間をかけてできる英語の4技能コミュニケーシ
ョン活動も、自分ひとりで正しくできるようには決してならないで
しょう。

最初は1)や5)や6)の和訳義に全面的に頼っても、いずれは
2)や3)や4)の英語義を
主として頼みとするようにならねばな
りません。
たとえ和訳義を従として頼みとしたり、参考にしたりしたとしても
です。

そうして私達は、英語での本番のコミュニケーションをする場合、
英語を聞いたり読んだりする時には、その語句や文の言語的、実際
的意味が正しく分かっているだけでなく、その社会的意味も良く分
かり、そのイメージや考えが即、正しく頭の中に流れるようになる
ことを目指さねばなりません。

また、
英語を話したり、書いたりするときには、頭の中のイメージや考え
やその流れを、
即、英語の語句や文や文章にその言語的実際的意味
だけでなく、社会的意味も良く分って
できるようになることを目指
さねばなりません。

言葉の意味の教育学習が、その言語的意味に止まり、その実際的意
味や社会的意味にまで至らなかったらどうなるでしょう。

その結果は、社会に出て本番のコミュニケーションをしなければな
らなくなった時、事と場合によっては社会的に大変なミスをし、大
変なことになってし
まう可能性が少なからずあります。

これは外国語母(国)語を問わず、一般にあらゆる言語の教育学
について言えることです。

STAP細胞論文問題の
小保方晴子さんの場合もそうでしょう。

それで、次回から3回ほどは、この問題を中心に言葉の「実際的意
味」や「社会的意味」の教育学習の重要性について、同「言語的意
味」や「情緒的意味」にも触れながらお話したいと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1  2

PAGE TOP