2017年9月

幸翁の「人間道」塾から、会をへ、党へ

幸翁の「人間道」塾から、会をへ、党へ
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ところで、誤解があってはならないから一言申し上げますが、私が
なぜ
松下幸之助翁の「人間観」や「人間道」をこんなに熱心に取り
上げるのかというと、それらは民主的で、フランス革命の標語の自
由で平等で、博愛ないしは友愛的で、全人類の歴史が進むべき方向
の、幸之助翁が自らおっしゃっている「哲理」だと思うからです。

宗教ではなく。
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さて、
前回の私の話の要点というか、結論ですが、それは、幸之助
翁には悪いのですが、
成人してしまって数年経つ、22歳以上35歳
以下の青年を3~5年間
「政経塾」で教育訓練されても、卒業後既存
の政界や実業界、研究
やマスコミ界に散らばって行くシステムでは、
先ずは日本国内だけ
でも幸之助翁の「人間道」を現実的な哲理とし
て広めていくことは
無理だということです。
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現に、幸之助翁の「真の人間道を求めて」が出版されてから40
上、幸之助翁がご逝去されてから四半世期(の25年)以上も経つの
に、
現実的には「真の人間道」を求めた人の働き(の形跡)がほとんど全
くな
いのではありませんか?上書が広く読まれ、その哲理というか
思想
が単なる知識としては広まったとしても。
言葉の世界と思考の世界だけで良いのなら何でもできます。
幸之助翁が願っておられた「真の人間道」を現実の世界で歩む人を
増やして行かないといけないのではありませんか?
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それではどうすれば良いのか、これもまた8月20日のPHP研究所に
ける京都勉強会とその懇親会での直感、並びに幸之助翁の「真の
間道を求めて」の拝読とその後の小調査に寄るものですが、その
法は以下の通りです。ただし、「松下幸之助翁」を「孝翁」と呼
ばせて頂きます。
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すなわち、
先ず第一に、小学校高学年~大学2年生対象の志望校や大学の入試
楽に突破でき(、これは私達の教育訓練法で可能)、且つ幸之助翁
の「真の人間道」も教育して行く「(孝翁)人間道塾」を次第に日本
のあちこちに創り増やして行くこと。そして、大学卒業後はできる
だけ「政経塾」に入ってもらうこと。
次の2番目に、政治団体「(孝翁)人間道会」をできるだけ早く創る
と。
そして最後に、政党「(孝翁)人間道党」を創り、これが政権担当党
なる努力をすることです。
また、そうしていくうちに必要で可能なら、私立の、小学・中学・
高等学校や大学を創っていくことです。(その名前は、余計なお世
話かもしれませんが頭に「松下PHP」や「孝翁WH(=the Way of
Human)」を付けるのも良いかと思います。)
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ところでもちろん、これらはPHP研究所や、政経塾あるいはその卒
塾生の方々にやってもらいたいのですが、そうしてもらえそうにな
い時は私一人でもこれを始めるつもりで居ます。
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(以下次回)

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(メモ)⇒公証役場・選挙管理委員会

幸之助翁の「真の人間道を求めて」に関する私の悲しみ

幸之助翁の「真の人間道を求めて」に関する私の悲しみ
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松下幸之助先生の「真の人間道を求めて」を拝読し終えた時の、私の悲
しみの原因ですが、それは、それに関する先生の願望が現実の世界はも
ちろんのこと、日本だけでも少しも
実現されていないように直感した
からです。
その後、この直感が当たっているかどうか、PHP研究所や松下政経
塾、それから、同卒塾生について少し調べさせて頂きましたが、そ
の直感が当たっていたという結論です。
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実は上記直感に関しては伏線があります。
それは、この8月20日のPHP研究所における京都勉強会「21世紀の
リーダーに向けて」~松下幸之助翁が後世に何としても伝えたかっ
た事~に参加させて頂き、その後の懇親会での事です。勉強会での
私が感激したご講演の講師、PHP研究所専務取締役の佐藤悌二郎様
と名刺交換の後、少し談話をさせてもえましたが...その時、私

がPHP研究所としては大学や小・中・高等学校の創立、経営の予
はないのかという旨の質問をさせて頂くと、政経塾もあることだし、
結局はないというお答えだったので
、直感的に非常に残念に思った
ということです。
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「三つ子の魂百まで。」と言いますが、これは人の性格に関して言
ったものでしょうけれど、このことわざに倣って、私は「中高の教
育百まで。」と思っています。「中高」と言っても「小学校高学年
から大学2回生頃まで」のつもりで、これは知的教育に関して言っ
ているのです。

これを「植林活動」にたとえると、その植えられた「苗木(sapling)」
が1人前の樹木になるまでが「中学高校時代」のようなものだとい
うことです。
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ところで、松下政経塾への入塾は「在学中または就職中でない22
歳以上35歳以下の青年で、所定の選考に合格した者」とのことで、
卒塾生の方々は主として政治や経済、研究やマスコミの分野で活躍
なさっています。がしかしながら、それは既存の枝葉や花実の様々
な分野に後から入り混じってのことで、その既存の
堅固な派閥や人
脈の中で思うように身動きが取れず、余計な問題が山積し、
幸之助
翁の「人間道」を広めて行く活動などできたものではなく、
所属組織等
の伝統的というか、因習的というか、その活動の流れに身を任
すし
かないのではないで
しょうか。
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(以下次回)

 

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(メモ)その苗を植えることも、育てることも全くなされていな
いようです。

松下幸之助翁の「真の人間道を求めて」に関して

松下幸之助翁の「真の人間道を求めて」に関して
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松下幸之助先生は、今度はその「真の人間道を求めて」に関してです
が、サブタイトル的に次のようなことをおっしゃっています。

「豊かな礼の精神に立ち、いっさいを生かしつつ、よりよき共同生活
を」と。

このサブタイトル的な文言にも私は少なからず心を動かされたのです
が、その章立てを見て、私は電撃に打たれたようなショックを受け、
何とも表現しようのない喜びを、そして、しばらく経ってからですが
大きな悲しみを覚えた次第です。

ところで、その章立てとは、

序章「人間観から人間道へ」
第一章「いっさいを容認する」

第二章「いかに処遇するか」
第三章「人間道を支えるもの」
第四章「調和共栄をもたらすために」
補章「人間道の実践を願って」

というものです。

が、なぜ私はこの章立てに嬉しいショックをうけ、後に大きな悲しみ
に襲われたのでしょう。
その喜びは、その枠組み一見してその内容が私の唱える「本物の英会
話法」とほとんど全く同じであるに違いないと直感したからです。

もう少し砕いていうと、その2回目は、私はその『人間道に『英会話
』を、また、『調和共栄』に『相互理解』入れ替えて、

序章「人間観から英会話道へ」
第一章「いっさいを(あるがままに)容認する」
第二章「いかに処遇(対処)するか」
第三章「『英会話道』を支えるもの」
第四章「『相互理解』をもたらすために」
補章「『英会話道』の実践を願って」

などとと読んで、先生の「人間道」と私の「英会話道」は根本的に
様な方法による、
同様な目的のものではないかと直感した思ったから
です。
この時、「英会話道」とは、もちろん「本物(=本番)の英会話をマスタ
ーして行く過程」のことで、そこで大事なのは
「本物(=本番)の英会話
法」で、「会話用英語の
暗記暗唱して行く過程や方法」ではありませ
ん。

そして、本文を精読させて頂いたら、正に私の最初の直感通りでした。
そして、その私の大きな悲しみ原因とその対策については、次回にお
話したいと思います。

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(参考)
ちなみに、皆さんに、1回1回の
「(本物の)英会話法」として参考にして
頂くために、
幸之助先生の上記章立ての「人間道」に「(本物の)英会話
法」
を、また「調和共栄」に「相互コミュニケーション」入れ替え、
同書の本文の内容に従って少し修正を加えさせて頂く
次のようになり
ます。

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序章「人間観から『(本物の)英会話法へ』」
第一章「いっさいを(あるがままに)容認する」
第二章「いかに問題に対処するか」
第三章「(本物の)英会話法』を支えるもの」
第四章「相互コミュニケーション』をもたらすために」
補章(本物の)英会話法』の実践を願って」

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(以下次回)

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松下幸之助翁の「私の新しい人間観」に関して

松下幸之助翁の「私の新しい人間観」に関して

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松下幸之助先生は、その「新しい人間観の提唱」で、次のようなことをおっし
ゃっています。(但し、私の要約能力がまずくて誤解があるといけないので、1
度はPHPビジネス新書等の、先生の原文に当って頂きたいのですが。)

「人間は万物の王者となり、万物の支配者となる力が天命によって与えられて
いる。それ故、人間はその力でもって人間の『繁栄による平和や幸福 (Peace 

and Happiness through Prosperity⇒PHP:現筆者の注)』を実現すべき立場
にある。がしかし、人間の現実の姿は天命を悟らず、個々の利害得失や知恵才
覚にとらわれ、往々にして貧困に陥り、争いに明け暮れ、不幸におそわれてい
る。それ故、お互いにこの人間の偉大さを悟り、その天命を自覚し、世界中の
先哲諸聖をはじめ多くの人々の知恵を融合した衆知を高めながら、生成発展の
大業を営まなければならない。」旨のことを。


それから先生は、その「真の人間道を求めて」で、万物の王者としての人間の
偉大な天命を如実に(=実際の通りに;ありのままに(角川新国語辞典))発揮させ
る大道として「新しい人間道」を提唱されています。

そして、私はそのお考えにほとんど全面的に賛同する者ですが、その「人間観」
においては少し違った見方をしています。

すなわち、その天命を下した天は、大自然の王者である人間にだけ知情意とい
う極めて高度で素晴らしい頭脳
(=心理)の働きを与えた代わりに、ある重大
責務もまた人間に負わせたのではないかと。すなわち、その知力と意志力を正
しく有効に使わないと人間は滅びてしまい兼ねないが、この問題は自ら解決せ
よという

なぜなら人間は、
ら物事を判断選択し、事を行う知力(すなわち知識や知恵)
と意志力を持ち、
もはや他の生物や無生物のように天の言うことを聞かないの
だから。

言い換えれば、人間はその知識と知恵の不適切な使用、あるいは不使用によ
て生まれた生活や生
命を脅かす難問題の中で、サバイバルゲームの中に落ち込
んでしまったのではないか。あるいはその
サバイバルゲームで生き残ることが
天命なのではないか
と私は思うのです。
そして天は私達人間が正しい知識と知恵を用いて、その自ら招いた難題に正し
く対応し、その
強い意志力でそれらの問題を正しく解決して行くかどうか、高
みの見物をしているのではないかと。

ところで私は、その天命を「ほとんど不可能な使命⇒MAI(=Mission Almost 
Impossible)」と呼び、毎日四苦八苦しながら日々を送ってきましたが、幸之助
先生の
「真の人間道を求めて」によって、少なからず救われるところがあった
ということです。

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(参考)

なおざりやおざなりや誤用や悪用 ⇔ 正用や善用
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宇宙、この世/生物、無生物/人間=王者/その創造主などいない、/がいると
したら大自然、天、神(様)/その大自然神天/科学的、哲学的、宗教的

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