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(付録2.) 今までの英文法としかるべき英文法1*

今までの英文法としかるべき英文法1


前回の話に関連したことですが、

上智大学文学部教授の渡部昇一博士は、
大学院生の時に学習英文法の8品詞の起源に強い興味を抱かれ、
ドイツに留学し 「英文法の歴史」 を研究されました。

その結果、大きな成果を収め、博士号を取得され、ついには
「(8)品詞というものは、古代ギリシャ以来、
読めない文献を読むための言語分析の方法として発達したのだ」
という悟りに至られたそうです。
(渡部昇一 『英文法を撫でる』 PHP新書, 1996
の、第3章 「英語の基本ー 『読み書き』 能力」 より。)

ならば、

私達一般の英語学習者は、何も、
古代ギリシャ以来の読めない文献を読むために英語を学習しているのではないから・・・
そして、私達は、現代英語の文を正しく聞き、話し、読み、書くための、
まともな能力を身に付けたいのだから・・・

博士は、私達一般の英語学習者のために、
8品詞を中心とするラテン文法の枠組みを持つ、今までの学習英文法を捨て、
現代英語により適切な枠組みの学習英文法を発見して推薦したり、
あるいは自ら開発しようとなさるだろうと思っていたのですが。

なんと、なんと、30年以上も、
今までの8品詞中心の学習英文法を徹底して擁護し、
推奨して止まれないようです。

全く訳が分かりません。

古くは、1975年に、
当時自民党の政調審議委員だった平泉渉氏との 『英語教育大論争』 において、
博士は 「私の英語上達法」 の2で、

「英語教育の改善のためには今の制度をそのまま活用するのが最も効果的である。
ー中略ー 教室で立派に出来ることの第一は基本的な文法を叩きこむことである。
そのうち特に重要なのは8品詞と基本文型である。8品詞というのは学校文典 (=文法) の
悪しき標本みたいなものに仕立てられている傾向があるがそんなことは絶対にない。
ー中略ー いわゆる学校文典は、ありとあらゆる試みの結果そこに落ち着いたので、
これを変えたらもっと別のより大きいマイナスが出てくるようなものであることを
私はこの本の中で十分に証明したと信じている。ー後略ー」
(平泉渉・渡部昇一 『英語教育大論争』 文藝春秋, 1975)

と言っておられます。

それから、博士の先ほどの 『英文法を撫でる』 (PHP新書, 1996) は、
英語・英文法の歴史と日本の伝統的な漢文学習をこよなく愛し、
今までの8品詞中心の学習英文法を徹底して弁護し推薦する内容の本です。

これらは、
博士の(英文法は中世に大変身をしたという)研究結果や(古代ギリシャ以来の
読めない文献を読むための言語分析の方法として(のみ)発達したという)悟り
から、良識によって導き出せるものとは完全に矛盾する発言や内容と言うか、
正反対の結論の主張でしょう。
全く訳が分かりません。
前回にも言ったように、古(期)英語は文法的に根本的な
それゆえほとんど全面的な変化を経て現代英語に成ったのです。

ですから、
8品詞中心のラテン文法の枠組みを持つ学習英文法は、
古英語の学習や、ラテン語やギリシャ語の学習への橋渡しとしては
適しているかもしれないが、現代英語の学習、それも
「聴解」 (⇒聞き取って (即、) 理解すること) や 「読解」には極めて不適切で、
話す場合も、書く場合も (即、) 「英作文」 するには全く不適切なものです。
そして、
このことを1番よく分かっていらっしゃるのは博士のはずです。

なのに、その博士をして、
私達一般の英語学習者が現代英語を学習する場合の
より適切な英文法の可能性をすべて排し、
8品詞中心のラテン語の枠組みを持つ学習英文法を
徹底して擁護し推奨させているものは、
一体全体何なのでしょう?

先入観? 独断? 偏見? 迎合??


いずれにせよ、博士は、日本国内だけでなく海外でも多大な影響力を持って、
今までの8品詞中心の学習英文法を徹底して擁護し推奨なさって止まれないのです。

これは本当に困ったことです。

なぜなら、前回にも言ったように、「今までの8品詞中心の学習英文法」 は、
現代英語の文法としては、全く不適切で矛盾に満ちているからです。
そのため、この英文法自体を学習する場合も、
この英文法を使って英語の現代文を聞いたり、読んだりする場合も、
現代英語で話したり、書いたりする場合も、
ごく一部の天才的な感覚の人々以外、私達一般の英語学習者は、
まじめにこれらをすればするほどよけい頭が混乱し、
英語や英文法が益々分からなくなるだけだからです。

そして、私達一般の英語学習者は、
多大なお金と労力と時間を浪費する結果となっているからです。

それだけではありません。
その不適切な知識が、
より適切な英文法を学習する場合だけでなく、
現代英語の4技能自体を正しく学習する場合も
大きな障害と成って止まないからです。

ですから、
同博士が、日本国内だけでなく世界中の一般英語学習者達に
直接あるいは間接及ぼしてこられた悪影響には
計り知れないところがあるのです。

以上のようなわけで、
博士が早急に、先ず、一般の人々の英語教育に対する考えをお改めになり、
次に、世界中の一般の英語学習者に、いままでお与えに成って来た不都合に対し、
心から謝罪されんことを、私は期待します。

そうでない場合は、次回にお話する私の要求にお応え頂かねばなりません。


今までのラテン文法の枠組みの8品詞英文法で
英語も、ドイツ語もマスターされた
博士のような方は、特殊であられるのです。
天才であると同時に、非常な努力家でもあられるようです。
そのような方々のみが、
今までの8品詞英文法によってでも、その言語の本質を感知し、
優れた語学力を身に付けられるのだと思います。

問題は私達一般の英語学習者です。

英語に苦労している一般の学習者の身に成って、
今までの学習英文法に疑問を抱き、
どうしたらよく訳が分かった上で、
本物の英語力を身に付けることができるのかを真剣に考え、
先入観や独断や偏見無しに現代英語のあるがままの姿を観察し、
これに適切な枠組みの英文法を構築しようとし、
成功なさった英語の先生方や研究者が、
今までおられなかったようであるのは残念なことです。

(2008年8月16日)

(付録3.)今までの英文法としかるべき英文法2.*

今までの英文法としかるべき英文法 2.


前回私は、
ラテン文法の枠組みを持つ従来の8品詞英文法を中心とする
渡部昇一博士の英語教育論を厳しく批評させて頂きました。
なぜそうさせて頂いたのかと言うと、
現代英語の一般的教育に対する博士のお考えが極めて不適切なので、
一般の英語学習者が多大な被害を蒙っているからだけではありません。

前回にも引用しましたが、
博士が 『英語教育大論争』 (平泉渉・渡部昇一著 文藝春秋, 1975) の中で
「これ (=従来の8品詞と基本文型を中心とする学校文法) を変えたら
もっと別のより大きいマイナスが出てくるようなものであることを
私はこの本の中で十分に証明したと信じている。」(「私の英語上達法」の2.)
とおっしゃっているからです。

言い換えると、私達一般の現代英語学習者にとって、
基本文型と8品詞を中心とする従来の英文法よりも、
より適切な学習英文法などありえないとおっしゃってるからです。

それもありえないと 「思う」 ではなくて、
ありえないことを 「十分証明したと信じている」
とおっしゃっているからです。

この言葉は、英語や英会話に悩む学習者一般を救おうとして、
より良い学習英文法を研究しておられる、
誠実で思いやりのある人達の意気を消沈させたり、
意欲を抑圧したりするもの以外の何ものでもないからです。

私は、1975年の4月から同10月にかけての 『英語教育大論争』 から
約10年後の1986年の3月に、英文法は従来のままではいけないので、
この 『本物の英文法の概要』 と大体同じ枠組みの13品詞を中心とした
『実用生成英文法』 という専門書を開文社から出版しました。

これは専門家相手の書物なので難解なところが少なくないのですが、
そこで私は、
(文法的に正しい) あらゆる現代英文がどのように成り立っているのかを
完全に解明したつもりです。

つまり、
そこでは、それがどんなに複雑な文であれ、
1つの英文のすべての単語に関して、
どの単語がどの単語に対してどんな働きをし、
互いにどんな関係を持ってその英文を成り立たせているのかを、
1つの単語も漏らさず
正しく解明あるいは規定 (する方法をきちんと示) したつもりです。

この意味は、
その逆をきちんと辿れば、
あらゆる種類と複雑さの文法的な現代英文が
誰でも自力で作り出せるということです。

つまり、『英借文』 や 『盗作文』 ではなくて、
本物の 『英作文』 ができるということです。

その考えをさらに推し進め、一般の英語学習者の方々のために解説したものが
私が 『本物の英文法』 とか 『本物の現代英文法』 とか 『本物の表現英文法』
などと呼んでいる新しい学習英文法です。
そして、その概要がこの13回にわたった 『本物の英文法の概要 』 (I~XIII) です。
(⇒2013年の4月28日~4月16日に再掲載)


ところで、
なぜ、これらにいちいち 「本物の」 という言葉を
頭に付けているのかを次に少し説明したいと思います。

それは、今までに数え切れないほどの数の
『現代英文法』 とか 『表現英文法』 とか 『何々英文法』 という名の
現代英語?の学習文法書が出版されていますが、
それらはほとんど皆、8品詞中心のラテン文法の枠組みを持つ英文法書だからです。

それらでは、今上で言ったような本物の 『英作文』 はできるようになりません。
『英文解釈』 も極めて少数の天才的な人達以外、早く正しくできるようになりません。
これは、それらが本物の現代英語の文法ではないからです。

このことを踏まえて、それらの英文法と本英文法をはっきりと区別する場合、
この 「本物の」 という言葉を頭に付けることが、最も適切だと判断したからです。

話を元に戻しますが、
平泉渉氏と渡部昇一博士が英語教育について大論争なさっていた頃、
私は米国に留学していたので、その論争については全く知りませんでした。

私がこの 『英語教育大論争』 について知ったのは、
今上で触れた 『実用生成英文法』 を出版してからです。
そしてその 『大論争』 を読んだ時、
同博士の上の発言などに少なからぬ憤慨を覚えたのですが、
お二人のあまりにも的外れで、実りのない論争に、
呆れ返ってそのまま捨て置いたのです。
そのうち渡部博士も、
学習英文法についての考えを大きく変えられるだろうと期待して。

しかし、それから更に10年余りの年月が経って、
1996年の12月に出版された博士の 『英文法を撫でる』 を拝読しても、
博士のお考えは変わるどころか、今までの8品詞中心ラテン文法枠の学習英文法
を益々愛し、擁護し、推奨して止まれないようでした。

それでも、お偉い博士の英語教育論を批評するなどということは、
遠慮し、差し控えさせて頂いていたのです。

しかし、ここさらに10年以上、今までの8品詞英文法を習っているはずの
一般の英語学習者の方々が話したり書いたりされる英語や英文を見聞きしてきたところ、
それらはあまりにも酷いままです。

そして、その原因の根本に
不適切な今までの8品詞英文法があると私は確信しています。
それで、この 『本物の英文法の概要』 を終えるに当たって、
博士の8品詞英文法を中心とする英語教育論を批評させて頂くことにしたのです。

さて、英語や英会話に悩む一般の人々のために
私が長年研究を重ね開発した 「本物の現代英文法」 は、
この概要でも述べたように、
現代英語の枠組みの 「12(~13)品詞」 と 「英文語順表」 中心の学習英文法です。

これを、博士の擁護し推奨なさって止まない、今までの
ラテン文法の枠組みの 「8(~9)品詞」 と 「基本文型」 中心の学習英文法と
比べてもらいたいのです。

そして、おっしゃっているように、
これらの違いによって出てきている、あるいは出てくるであろうより大きいマイナスを
是非とも明示あるいは証明してもらいたいものです。
独断的にではなく、客観的にです。

いや、そうしてくださることを私は博士に要求します。

公言なさったことに責任を持って頂くためにも、
英語や英会話に悩む一般の学習者の方々のためにも。
そして更に、
美しい文法体系あるいは素晴らしい文法組織を持つ現代英語自体のためにも。


現代英語が泣いています。 怒りを通り越して。
「私の成り立ちは、もはやラテン語や古英語のそれではない。」 と言って。
私にはその泣き声が聞こえるのです。

まるで蝶が泣いているようです。
「私の姿は、もはや毛虫や蛹のそれではない」 と言って。

誰も気付いていないようですが、
現代英語の文法は素晴らしい容姿をしているのです。
その (現代) 英文法をラテン文法の支配から
独立させてあげようではありませんか!!
いや、是が非でもそうしなければなりません。

(2008年8月22日)

みんなの英語・英会話革命75.言葉の「意味」の学習に関して1.*

75.言葉の「意味」の学習に関して1.

 

ところで、多くの人が

「英語はコミュニケーションの『手段』(の一つ)に過ぎない」

といいます。私も同感です。
が、それではコミュニケーションの『
目的』は、それも『究極
の目的
』は何でしょう?

結論から言いますと、それは

「ある物事に関する正しい(広義の)意味』の伝達」

だと私は思っています。
そしてもしそうなら、人々のコミュニケーション活動における
「意味」とは何か、あるいは「意味」とはどのようなものか、
よく分かっていなければならないでしょう。

そこで私は英会話のレッスンで、時々

What's 'a chair'? (「いす」って何ですか?)

あるいは、
What does 'a chair' mean?
(「いす」とは何を意味しますか?)

などと a chair の意味を尋ねることにしています。

そうすると、大概の日本人英会話学習者は
`Isu'. (「いす」)

とか、
It's (an) 'isu'. (それは「いす」です。)

とか、

It means (an) 'isu'. (それは「いす」を意味します。)

などとその和訳語を答えられます。

この英和の辞書的相当語である 'Isu' (「いす」)も 'a chair'
の意味として認めますと、
これは「
訳語義」とでも言うべき種類の意味でしょう。

中には、英語で
(It's) 'A seat.' (訳語義:座席、座部)

と答える方もいます。
これは「同意語義」とでも言うべき種類の意味です。

また、中には、
(It's) A seat for one person with legs and a back.
(和訳:脚と背もたれを持っている一人用の座席)
あるいは、
(It's) A piece of furniture made up of a seat, legs and a
back (for one person).
(和訳:(一人用の)座部と
脚と背もたれから成る(一点の)家
)。

などと答える方もいるかも知れません。
これらは通常「定義」と呼ばれている意味です。

以上の他に、私は「(現実的・社会的)論義」とでも呼ぶべき
意味も認めています。

これは
「その言葉が表すものごと自体(例:a chair)や、その一部
(例:the back [背もたれ])の有無によって、人々の日常生
活や社会にどんな影響を及ぼすか」
ということから、そのものごとに関する直接体験や意見までを
含む様々なことを人々と話し合って得られる、
その「現実的・社会的意味」のこと
です。

これは
「その言葉が表すものごとの日常生活や社会における働き」
と言い換えても良いでしょう。

ところで私は、この「現実的・社会的意味」が、外国語や特に
外国語会話の学習における究極の、がしかし、最も重要な意味
だと思っています。

そして、これをきちんと扱わない外国語や外国語会話の教育や
学習によって身に付いた能力は、
実生活や実社会での本番の国際あるいは異文化コミュニケーシ
ョンの場では役に立たないか、問題を起こしがちになってしま
うことは火を見るより明らかでしょう。


(続きは次回です)

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みんなの英語・英会話革命76.言葉の「意味」の学習に関して2.*

76.言葉の「意味」の学習に関して2.

 

前回私は、私達日本人が英語を外国語として学ぶ場合の
英単語の意味に、
1) (和)訳語義(that by lexical (Japanese) equivalent)

2) 同意語義(that by synonym)
3) 定義(that by definition)
4) (現実的・社会的)論義(that by discussion)

の4種類のものを認めました。

が、英語の句や(節や)文に関しては、

5) (和)直訳義(that by literal (Japanese) translation)
6) (和)意訳義(that by contextual (Japanese) translation)
4) 
現実的・社会的)論義(that by discussion)

の3種類を認めています。

そして、私達が英語を外国語として学習する場合、
このどの意味も必要で重要でしょう。

しかしながら、私達が「英語での即座のコミュニケーション法」
を身に付ける場合、すなわち、
「本物の英会話」つまり「
英語での本番の会話(法)(術)」や
「英語での本番のディスカッション法」や
「英語での本番の質疑応答法」を学習する場合、
上の1)や5)や6)の和訳義に頼ってはいては絶対にいけません。

困ったときには、その相手や参加者(ただし、ネイティブスピーカ
や、同相当者)を頼りにしなければなりません。

つまり、その相手や参加者に頼んで、問題の言葉の同意語
(synonym)や
定義(definition)を言ってもらったり、さらには、
実物を指し示したり、写真や絵を見せたりしながら問題の言葉や発
言の日常生活における実際的(現実的)意味を解説してもらったり、
できれば(社会的)論義(discussion)をしてもらったりして、正
しい理解と表現に努めねばなりません。

そうしないと、「英会話」や「英語でのディスカッション」や「英
語での質疑応答法」をどれほど学習しても、これらを正しく自信や
確信を持ってできるようには決してならないでしょう。

いや、これらの英語での即座のコミュニケーションだけでなく、準
備して、あるいは時間をかけてできる英語の4技能コミュニケーシ
ョン活動も、自分ひとりで正しくできるようには決してならないで
しょう。

最初は1)や5)や6)の和訳義に全面的に頼っても、いずれは
2)や3)や4)の英語義を
主として頼みとするようにならねばな
りません。
たとえ和訳義を従として頼みとしたり、参考にしたりしたとしても
です。

そうして私達は、英語での本番のコミュニケーションをする場合、
英語を聞いたり読んだりする時には、その語句や文の言語的、実際
的意味が正しく分かっているだけでなく、その社会的意味も良く分
かり、そのイメージや考えが即、正しく頭の中に流れるようになる
ことを目指さねばなりません。

また、
英語を話したり、書いたりするときには、頭の中のイメージや考え
やその流れを、
即、英語の語句や文や文章にその言語的実際的意味
だけでなく、社会的意味も良く分って
できるようになることを目指
さねばなりません。

言葉の意味の教育学習が、その言語的意味に止まり、その実際的意
味や社会的意味にまで至らなかったらどうなるでしょう。

その結果は、社会に出て本番のコミュニケーションをしなければな
らなくなった時、事と場合によっては社会的に大変なミスをし、大
変なことになってし
まう可能性が少なからずあります。

これは外国語母(国)語を問わず、一般にあらゆる言語の教育学
について言えることです。

STAP細胞論文問題の
小保方晴子さんの場合もそうでしょう。

それで、次回から3回ほどは、この問題を中心に言葉の「実際的意
味」や「社会的意味」の教育学習の重要性について、同「言語的意
味」や「情緒的意味」にも触れながらお話したいと思います。

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みんなの英語・英会話革命77.哀れ小保方晴子さん1:客観的「概念的・現実的・社会的意味」*

 

77.哀れ小保方晴子さん1:客観的「概念的・現実的・社会的意味」
 

今、世間を、いや、世界を騒がせている、英科学誌「ネイチャー」
に発表された「(夢の万能)STAP細胞」に関する研究論文不正
問題。

この問題は。
これを
巨視的というか大局的に観た場合、その主研究者であり主筆
である理研の小保方晴子さんは被害者というか犠牲者であると私は
思っています。

日本の教育の、特に日本の中学・高校・大学学部における教育の。

なぜそう思うのかと言いますと、
彼女はきっと学問における「科学」
とは何かや、
さらには理系すなわち自然科学系における「科学研究」とは何か、
これらの「本当の意味」というか、中でも私が「社会的意味」と呼
んでいるものはもちろん、
これらの基礎の基礎というか、その拠って建つ
土台である「現実的
意味」についても1度もきちんと教わられたことがないにちがいな
いと思うからです。

小保方さんはこれらの「概念的(な)意味」を教わられただけでは
ないでしょうか。
たとえば、『
科学』とは「一定の決まった目的・方法・原理によっ
て、いろいろの知識を集め、整理し、体系的に統一する学問」(角
川新国語辞典、1981)のような。

このような概念や観念だけでは、物事を正しく実践できないでしょ
。その目的や方法や原理を実践的にというか、実体験的に正しく
習わないと。

「習わぬお経は読めぬ」のたとえで、
教わったことのないことができないのも無理ありません。

これらの「社会的な意味」は良く分からなくても、たとえばその
「方法」の
基礎や土台をなす「現実的意味」の1つに次のことがあ
ります。

つまり、「流用」(や「盗用」や「盗作」)すなわち、「他人のも
のを自分のものとして用いること」は一切してはならないというこ
と。

一般に(広義の)科学には大きく分けて「人文科学」「社会科学」
「自然科学」がありますが、
そのいずれであっても論文や小論文はもちろんのこと、
たとえそれがレポートであれ解説書であれ、
あらゆる公的に発表する文章を書く場合、無断で借用してはならな
い、
ということです。

つまり、他人の書いた文章や文をそのまま自分の作ったもののよう
にして用いては絶対にいけないのです。
特に、学問研究の分野でそうすることは、銀行員が顧客の預金を私
的に流用するようなものです。

そんなことをして、それが発覚したらどうなるか、皆さんはお分か
りでしょう。

他人の書いた文や文章を公的に用いる場合、少なくともその部分に
は印用符を付け、出典を明らかにしておかね
ばなりません。

さらに、文章をその通りでなく、その内容をまとめたものであって
も、
その内容(やアイディア)がその著者のオリジナルなものであ
ったら、
その箇所をはっきりと示し、出典を明らかにしなければな
りません。

(次回に続く)

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みんなの英語・英会話革命78.哀れ小保方晴子さん2:主観的「情緒的意味」*

78.哀れ小保方晴子さん2:主観的「情緒的意味」

前回お話したようなことは、大学の学部ではもちろんのこと中学校
でも高校でも、その文系
理系にかかわらずどの科目あっても、わず
かな時限数で体験を通してきちんと教えることができ、必ずそうす
べきだと思います。
感想文や意見文やレポートを課すことによって。

科学研究の方法も、中学校では理科の時間に、高校では物理や化学、
生物や地学の時間に簡単な観察や実験を通し、わずかな時限数で

ちんと
教授できるでしょう。

それらにおいて、少なくとも流用(=盗用)や改ざんや捏造は絶対
にしないようには。

ここに「流用」とは何か、「改ざん」とは何か、「捏造」とは何か
にも、もちろん、
その「概念的意味」の他に、
生活上より重要な「現実的意味」や
さらに重要な、これらを行った場合、どのような社会的な影響を持
ち得るかという「社会的意味」の問題もあります。

ところで、小保方さんは去る4月9日の記者会見で、自分の科学研
究者としての未熟さを認められたけれど、今後も人々の役に立つた
めに今の研究を続けていきたい旨を述べられ、その時、次のように
も言われました。

「ゼロからではなくマイナス100からだと思って、科学や研究に
向き合っていくチャンスがあればいいと思っている」と。

私としては、これは素晴らしい発言だと思っています。

が、これには客観的な「概念的・現実的・社会的意味」の他に、小
保方
さんの主観的な「情緒的意味」も含まれているでしょう。
いや、4月9日の記者会見の時点でのその意味は、ほとんど全て
緒的なものだったのではないでしょうか。

もしそうなら、できるだけ早いうちにその
ゼロからではなくマイナス100からだと思って、科学や研究に
向き合っていく
ことの、
客観的な「概念的・現実的・社会的意味」をきちんと吟味
され、そのチャンスを待たれるだけではなく、求めたり探したりな
さることを私は願ってやみません。

そして、「科学者ー非科学者」の座標軸において
「できるだけ早くマイナス100やマイナス10ではなく、0(ゼ
ロ)になって、真の科学者としてのプラス1に向かわれる」
ことを心底から希望します。

 

 

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(67?明記明話実験思考法)
ところで、
「英語・英会話教育(・学習)」以外の学科では、多
かれ少なかれ、私が明記明話、実験思考法』と呼ぶ方法、ある
いは
これに近い方法がすでにとられており、それなりの成功を収
めて
いると思います。

 

そして、前にも触れましたが、自然科学や、芸術やスポーツ等の
方面では、その教育学習法が非常に良く、すばらしい成果を収め

ていると思います。。。

みんなの英語・英会話革命79.哀れ小保方晴子さん3:「(真の)科学研究者」の意味*

79.哀れ小保方晴子さん3:「(真の)科学研究者」の意味

前回の最後に私は、小保方さんが「科学者ー非科学者」の座標軸に
おいて
できるだけ早くマイナス100やマイナス10ではなく、0
(ゼロ)
になって、真の科学(研究)者としてのプラス1に向かわ
れる
ことを心底希望しました。

が、この場合の「マイナス」とか「ゼロ」とか「プラス」と言う言
葉の情緒的ではなくて、その客観的な概念的・現実的・社会的意味
とはどのようなものでしょう。

その「ゼロ」とは、「科学や科学研究(法)(の発展)に有益でも
なければ、有害でもない状態」を言うとし。
「プラス」とは、「それらに有益であり、貢献している状態」を、
「マイナス」とは、「それらに有害であり、障害となっている状態」
を言うとして良いでしょう。

そして、その「プラス1」(の段階あるいは状態)とは、「科学者
あるいは科学研究者を目指す人が、科学や科学研究(法)の基礎の
基礎をマスターした状態」として良いでしょう。

「科学や科学研究の基礎の基礎」には、
これらをする場合の方法において、決して他人のものを「流用」し
たり、観察や実験結果を「改ざん」したり「捏造」したりしない、
ということが含まれる
と私は思います。

が、しかし、ここにも又、科学における「流用」とは何かや、科学
研究における「改ざん」とは、「捏造」とは何かという概念的意味
の他に、これらの「実践的意味」や「社会的意味」
の問題がありま
す。

が、残念ながらここでは紙面の都合上、主として目下必要な、科学
研究における「改ざん」と「捏造」の「
社会的意味」しか取り上げ
られません。

その前に、「改ざん」とは何か、「捏造」とは何か、簡単にその一
般的意味概念を確認しておきたいと思います。

「改ざん」とは、「既にあるものを(少しでも)変え、(その変更
について)
きちんと断らずに公的に提示すること」でしょう。

また、

「捏造」とは、「(どんなに小さなものでも)そこに無いものをあ
るものとし、そうしたことをきちんと断らずに公的に提示すること」
でしょう。

そして、その職務においてこのどの1つを行っても、そうした銀行
員や警察官等を考えて
みれば、それは不正であり、その人はもはや
銀行員や警察官としては失格であることは誰にでも分かるでしょう。
悪意は無くてもです。
どんな善意があってもです。

なぜかと言いますと、悪意の無いあるいは善意による改ざんや捏造
はかまわないとなると、改ざんや捏造がどんどん生じ、その業界や
科学研究界は善意か悪意かの判定ばかりに忙殺され、それらの業界
や科学研究界が成り立たなくなるからでしょう

もちろん、それ以前に、あらゆる科学研究の結論は科学的事実や真
理として信じ難いものになってしまいますよね。場合によっては改
ざんや捏造をしても良いとなると。

つまり、そのようなことをすると、科学が崩壊してしまうというこ
とです。

以上のような訳で、小保方晴子さんが一刻も早く、自らの意思で不
適切な論文はすべて撤回され、その関係科学界や関係者の皆さんに
謝罪され、ゼロの状態から
真の科学者を目指してそのプラス1に向
かわれんこと
を心より願ってやみません。

が、もし万が一、科学者としてやって行けなくなられるようなこと
があったら、真の(科学)教育者となる道を歩まれることを強く

望します。

これは、ご経験を生かせば世界屈指の教育者となられる可能性が
きいからです。

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みんなの英語・英会話革命80.本書を終えるにあたって*

80.本書を終えるにあたって

 

第75項の最初でも触れたように、
英語はコミュニケーションの『手段』(の一つ)に過ぎない」と
は多くの人が言います。
がしかし、単にそう言っているだけでは何の益もありません。
何の役にも立ちません。

英語を外国語として学んだり、教えたりする私達の
「英語でのコミュニケーションの『目的』は何か」
を具体的にきちんと問題にし、

「その目的の速く正しい達成法」や「その能力の速く正しい習得法」
をきちんと明確化しないと、適切な手段も選べなければ、
その目的の達成もおぼつきません。

が、残念ながら、今までにこの問題に真正面から取り組み、
これらの正しいと考えられる方法を具体的に、つまり実践的に開発
された方や所は、こう言っては非常におこがましいですが、
私達のヒューコム・インター以外、無いようです。

ところで、これらの具体的で正しい方法なくしては、
英語や英会話の
教育や学習の正しい改革や革命はありえない
でしょう

そこで私は本書で、私達が開発した科学的に、また人間学的に正し
いと確信するそ
の方法を概説させていただいた次第です。

前に言いましたように、
「コーヒーカップ」はカップです。
コーヒーは関係しますが、その実体はカップです。
コーヒーではありません。

「カップコーヒー」はコーヒーです。
カップも関係しますが、その実質はコーヒーです。
カップではありません。

同様に、
「英語(での)コミュニケーション」はコミュニケーションです。
英語も関係しますが、その実体や実質はコミュニケーションです。
英語ではありません。

ましてや英日・日英の翻訳でもなければ、
意訳を介した英語の暗記暗唱でもありません。

私達が習得しようとしている「英語(での)コミュニケーション」
の実体は、今までの英語や英会話の教育や学習において考えられ
てきたよりも、はるかに心理的で社交的あるいは社会的なもので
す。

ですから、英語や英会話の教育や学習の根本的な改革や革命は
代からの伝統的なアプローチではなく、現代の(人間)科学的な
アプローチよる、心理学的、社会学的方法でもって始めて可能と
なるのです。

そこで、本書を終えるにあたり、これらの心理学的、社会学的方
との関連において、ぜひ皆さんにお読みいただきたい素晴らし
い内容の
2冊の英文原書とその和訳書を以下に紹介しておきたい
と思います。

その1つめは、今では古典的な、

1. "LANGUAGE IN THOUGHT AND ACTION" 
by S.I. and Alan R. Hayakawa: a harvest original, harcourt
brace and company, 1949 (,1990)

またはその和訳書の

2. 「S.I.ハヤカワ 思考と行動における言語」
大久保忠利訳:岩波現代叢書

です。 そしてもう1冊は、比較的新しく世界的に有名な

3. "EMOTIONAL INTELLIGENCE"
by Daniel Goleman: Bantam Books, 1995 (,1996)

あるいはその和訳書の、

4. 「EQ 心の知能指数」ダニエル・ゴールマン、土屋京子・訳:
講談社+α文庫、1998 (,2013)

の2冊です。

ちなみに1.の英文は平易で標準的ですが、
3.の英文は
ところどころに難解な箇所があります。

 

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最後に、上の、"LANGUAGE IN THOUGHT AND ACTION" の
第8章 'How We Know  What We Know' の章頭に掲載されて
いる WENDELL JOHNSON の次の一節の意味はきわめて重要
だと思いますので、それを又引きさせてもらいます。

The crucial point to be considered in a study of language
behavior is the relationship of language and reality, between
words and not words.  Except as we understand this relationship,
we run the grave risk of straining the delicate connection between
words and facts, of permitting our words to go wild, and so of
creating for ourselves fabrications of fantasy and delusion.

(「みんなの英語・英会話革命」終わり)

 

 

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みんなの英語・英会話革命:付録16.~69. のタイトル

みんなの英語・英会話革命:付録16.~69. のタイトルは
以下のとおりです。

みんなの英語・英会話革命16.(修正)テストではなくコミュニケーション

 (本日、追加)

16.テストではなく、コミュニケーションです

『英会話』とは、テストではなく、コミュニケーションです。

そして、英語を外国語として学ぶ私達日本人にとっての

『英会話の達人』

とは、要は、

「日本語の全く分からない英語のネイティブスピーカーを相手に、
(言葉は)主として英語を用いて、どのような話題であっても即
座に言いたいことを互いに正しく、能率的にしかも楽しく伝え合
って行けるように話し合える人」

でしょう。

私達は、これを目指すべきです。

そしてこれは、やり方によってはごく簡単です。
やり方によってはほとんど不可能です。

つまり、
「人間と人間の友愛を持っての、英語によるコミュニケーション
法」
を用いれば、ごく簡単です。

しかし、それは
「(会話)英語の暗記による、受験の頭での暗唱法」
を用いていては、何時まで経っても不可能でしょう。

前者はごく簡単ですが、それには人ならば誰でも持っている日常
的なコモンセンス(common sense =合理的実用的理解や判断)
が必要です。

さて、私は「12.『シャープペン』の英語での説明法」で、
手元にシャープペンがあれば、
(例1)それを持って相手に見せながらどのようにしてそれを使
うかを、発話は英語でも日本語でも良い、主としてジェスチャー
で示したり、あるいは、
(例2)これも発話は英語でも日本語でも良い、それを相手に渡
し、それがどのようなものかを観てもらう
べきである旨を述べました。

なぜ、そうすべきかと言いますと、それが『人間(=人類)共通
の日常的なコモンセンス』だと確信するからです。

もし、
「『会話』とは『音声言語』だけでしなければならないものであ
る」
としたら、
手話は会話ではなくり、手話で会話はできなくなりますよね。

 

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